だって浮かれてしまいます


Attention Please, 本日は、カレリン・エアラインをご利用いただき、まことにありがとうございます。
「当機は間もなく離陸いたします。いま一度、シートベルトをお確かめください」
みっともないくらい浮かれています。すみません。
7:15am. キースさん家の朝、はじめての朝。ゆうべは一緒に食事をして、ジョンと遊んで、いろんな話をして、一緒に眠った。広くてふかふかでいい匂いのベッドにふたり並んで、手をつないで。うれしくて眠ってるあいだに叫んでしまいそうだったから、枕の下にあたまを突っ込んで眠った。さっき起きたところ。
「みなさま、現在、当機はシュテルンビルト上空を飛行中です」
よく晴れた水曜日、バルコニーをまっ白に輝かせる太陽と、海みたいに青くてすべすべした空。カーテンの隙間から滑りこんで窓に手をふれたら、じんわりとあたたかくて指の先に幸福が満ちた。
ほんとうに、みっともないくらい浮かれています。すみません。空だって飛べそうです。恋の魔法で、なんて思って、ひとりで恥ずかしくなった。わああああ。
だってヒーローが、風の魔術師・スカイハイが、僕のことを好きだなんて。信じられない。たぶんだれも信じない。でも、ほんとうだ。ほんとうですよね。僕は信じる。

これまで、ほとんど毎晩かなしいことばかり考えてた。好きになってもらえそうなところなんか、ひとつもないし、役立たずだし、見切れるくらいしかできないし、だいいち、男だし。
「アテンションプリーズ、ただいま急降下しております」
今もそのかなしさは石になって体の深いところに沈んだままだ。なくならないし、消えてくれないけど、でも、逃げてばかりはいられない。近くにいたい、いつでも、いちばん近くにいたい。やさしくてとても強くてかっこよくて、ちょっと寂しがりなヒーローが、つらい思いをしないように。でも今のところ、あんまり役には立てていない。いつだってしてもらってばかりで、キース・グッドマンは何もかも完璧すぎて、だめなところなんか見事にひとつもなくて、困ってしまう。僕だって何かしてあげたいのになあ。
カーテンと窓の隙間。憧れと尊敬をこめて、空を見上げる。いつからか、くせになっていた。そこに、ほんのちょっとの甘苦い気持ちが混じってしまうのを、僕はとめられなかった。
弟みたいに思ってくれてるって、うぬぼれて考えてみてもそれが精いっぱいで、今も夢みたいだ。このあいだ、キースさんがしてくれた打ち明け話のたぶん半分くらいを、うわの空でおぼえていない。もったいなくて泣きたくなるけど、時間は戻せないからあきらめるしかない。
カーテンに包まって、くるくるまわった。上のところがねじれて、大きなさなぎみたいになる。目を閉じてもあかるくて、まぶしい。

起こしたほうがいいだろうか。でもせっかくの休みだから、ゆっくり眠りたいかもしれない。寝室とリビングルームを行ったり来たりしているうちにジョンを起こしてしまったみたいだ。ゆるくしっぽを振りながら彼は、ふわふわの毛並みを僕の腿のあたりに押し当てて、おはようの挨拶をしてくれた。
「やあ、おはよう。ごめん、起しちゃったね」
7:45am. ジョンのために朝食を用意する。勝手にさわったりしちゃだめかなと思いながら、きれいに片付けてある、だけどちゃんと使ってる感じのキッチンをながめているのは、すごく楽しい。淡い褐色のタイル、ほうろうのやかん、古い型のトースター、冷蔵庫の上にはオレンジがふたつ転がってる。それから、赤と白のスープの空き缶。僕もマッシュルームクリームスープがいちばん好きだ。ちょっとうれしくなった。

キースさんのアパートメントはすごく空に近い。晴れやかですがすがしい。窓から溢れる光が床の上にきらきら躍る。そろそろ起しにいこうかな。どうしよう、なんて言えばいいだろう。
「当機はただいま、キッチンの横を通過いたしました。うれしいけど緊張してます。ベッドルームまではおよそ7ヤード。機体が揺れてまいります。座席に戻り、シートベルトを締めてください」
飛行機の機内アナウンスをまねてつぶやく。ちょっと楽しい。目も当てられないほど浮かれています。すみません。
「おはよう、イワンくん。ゆっくり眠れたかい?」
廊下の途中、扉を開けたままのバスルームから、キースさんが顔を出した。今日もすごくさわやかでハンサムだ。でも今は、そんなこと考えてるばあいじゃない。
恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい! ああ、消えてなくなりたい。
「……いまのは、えっと、忘れて、わすれてください」
「とてもチャーミングだったよ。ぜひもう一度、聞かせてほしい」
キースさんはすこしかがんで、僕のつむじにキスをした。せっけんとアフターシェーブローションの匂いにすっぽり包まれる。
「いい朝だね」
眠たげにかすれた声はすごく親密な感じがして、かかとがふわりと浮いた。

Attention Please, それではみなさま、快適な空の旅をお楽しみください。


恋するエアライン

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